マイ オルガン ストーリー
1964年から1979年まで
(少しマニアックな電子オルガンのお話しから『電子オルガンの変遷』のお話へ)
我が家にやって来た初めての電子オルガン
1964年、我が家に初めて電子オルガンがやって来ました。
3歳の頃ピアノを大塚章子先生にお宅の個人レッスンで習い始めて数年が経ち、
ヤマハオルガン教室(現ヤマハ音楽教室)の楽器店のかたより
「男の子ですし鍵盤を弾くことが楽しそうで向いているご様子ですから、
教室終了後には新しく出来たばかりのエレクトーンと言う楽器をやって見てはどうでしょう?」
この勧めにより、これから世の中に普及を始める新しく出来たエレクトーンという楽器も習うことになりました。
そして我が家にもエレクトーンがやって来ることになりました。
当時の試験的教室の楽器はD-1型とA-2型とB-3型があり、
数年前に発売されたA-2型は一段鍵盤で、新しく発売の二段鍵盤ベース付き普及モデルのB-3型がありました。
通っていた幼稚園でもこのB-3型を購入しており一段鍵盤のA-2より二段鍵盤のB-3が練習する上でも弾きやすいという事で
我が家もB-3型を購入することになりました。
そんな訳でそれまであった電気オルガンと比べると二段鍵盤と取り外し式
ベース(高さ調節が出来る)の付いたかなり大きな家具調の電子オルガンが我が家にやって来た訳です。
当時アップライトピアノのU-1D型の価格が195000円、エレクトーンB-3型の価格は137000円で
椅子は3000円、合計140000円でした。
教室で先生が弾くD-1型の大きさはB-3型よりかなり大きく、椅子も高めに作られており、
子供の私の足はベース鍵盤にはなんとかとどきますが、殆んど椅子にお尻だけ引っ掛け半分立って弾くような状態でした。
B-3型はベース部分が取り外し出来、ベースの高さが調節出来た為、子供の私にも無理なくベースも弾けました。
ただ蓋の部分が二つ折りになっており、練習後に蓋を閉める時に「バタン」とよく指を挟みました。
少し赤茶色を帯びた木目調のデザインで蓋を閉じると平行で机にもなり楽譜の確認や絵本を見ることも出来ました。
(後に発売されるB-5型は子供が指を挟まないように蓋がひとつ折りに改善されたということを、後に開発に
仕事に行った時に開発時からいらっしゃた社員のかたに逸話としてお聞きし知りました)
このB-3型は1年11ヶ月の販売期間の間に試行錯誤されマイナーモデルチェンジの2タイプがありました。
(試行錯誤を重ね作られた創世記です)
私の家に来たものは初期モデルで、鍵盤は四角い電気オルガンのような箱型形状でマンドリンレバーが1番右側にありました。
椅子は白いクッションに被われたスチールの椅子でした。
ちなみにマイナーチェンジではマニュアル鍵盤の裏側の形状が現在と同じ形状に、トーンレバーのマンドリンの配列がビブラートの
隣に変更されました。
1964年東京オリンピック開催の年の当時、1ドルは360円、大卒サラリーマンの初任給は15000円前後、
D-1型の価格は350000円と当時では考えられない程の高価な楽器で、
D-1型の値段はB-3型が約2台買える程の値段でした。
当時、テレビで夢で逢いましょうという番組から生まれた「こんにちは赤ちゃん」という歌が大流行しており、
この頃、テレビやラジオでD-1型のその美しい音色で曲が流れるようになりました。
ラジオの「エレクトーンの調べ」でのD-1の演奏は母と毎回楽しみに聴いていました。
エレクトーンが我が家に来る数年前に自宅の白黒テレビで、「ヤマハエレクトーンA-2一段鍵盤ニューモデル新発売!」
というキャッチフレーズと共に、女性の奏者の方が両手とベースを弾いているコマーシャルの映像と
その演奏している音楽を今でも鮮明に覚えています。
私は子供ながらにテレビコマシャールを見ては「このベースの付いたA-2というオルガンは何?これ弾いてみたい」
この記憶がこの数年後現実となり我が家にもエレクトーンB-3型がやって来ました。
当時はこのB-3も高額、子供の私は高価な楽器とも知らず喜んでいました。
B-3型は上鍵盤は4つ、下鍵盤は3つ、ベース鍵盤は2つのトーンレバーの音色と、ビブラート効果とマンドリン効果、
ぺタルパーカッシップ(ポーンと切れる波形効果)効果、リバーブ効果だけのシンプルな楽器ですが、
少しだけリバーブをかけて、フルートトーンレバーを3、ブラストーンレバーを2、先生の指示通り
ビブラートトーンレバーを1.5入れてレガート奏法でシンプルに演奏すればとても心地の良い音色が響きました。
新品のB-3が届いた日、大きな箱から出すと、木目と家具塗装の新品の木のエレクトーンの匂いがしました。
エレクトーンが我が家に来てから、ま~それは日々時間も忘れて「ぶかぶか」と弾いていた記憶があり、
今でもその時の弾いたオープンリールテープが残っています。
トーンレバーが上鍵盤たった4つ下鍵盤たった3つの音色の楽器でも、
当時は無限大の混ぜ方を試行錯誤し楽しみめました。
この「ぶかぶか」弾いていたという引用は、私の母が口癖のように言っていたことからです。
初めてのエレクトーンの発表会は小学校1年生の春、B-5型で既にベースも弾きながら演奏しました。
B-5はベースの基盤や蓋の部分とスピカーの改良がなされており、(ステレオのスピーカーを応用したナチュラルサウンドスピーカー)
ベース鍵盤は大分弾きやすくなっていました。
このときステージにはD-1型と新発売のB-5型とR-1型と言う六角形型スピーカーが2台置かれていました。
ここから私の「エレクトーン狂」が始まります。(笑)
タブレットボタンでパンチの効いた音のC-1型
先に述べたように教室の機種はD-1型とA-2型、B-3型はB-5型に変わりました。
当時の先生は鱸真次先生の愛弟子の加藤允子先生でした。
加藤先生は第3回エレクトーンコンクール全日本大会に生徒さんと共に出場されており、
懐かしの玉電の「ぺこちゃん号」に乗り世田谷の叔父の家を訪ねながら翌日この大会を聴きに行きました。
この大会では新しくトレモロ効果が内臓されトーンレバーが2段に分かれトーンレバーのグレー色が印象的な
重厚感あるコンソールモデルのE-2型と、D-1型の上位前モデルのE-1型、
2年前発売された同じくトレモロ効果が内臓されトーンレバーが無く
音色のボタンが当時のアメリカのWurlitzer.Baldwin.Lowrey.オルガンのような
タブレット方式を採用した、歯切れの良いパンチの利いた音色の出る
コンパクトな大きさのC-1型とD-1B型、B-5型などがステージにずらりと置かれていました。
加藤先生はD-1の特許であるサスティーン効果を使い、マンドリン効果やビブラートを入れたり切ったり駆使した
クラシックの曲をD-1B型で演奏していました。
E-2型は外観はかなり大きくベース鍵盤は本体手前に細長い鍵盤が上F音まであり、
それまでのD-1とは違う幅のある(今思えばカプラー効果で)沢山の音が響いているような音質で、
ボタンパーカッションは面白い太鼓の音やシャーンというシンバルのような音がしました。
C-1型は音の色が違う海外のオルガンの音のような、ストレートでパンチのある音色で、
これまでのD-1型やB-3型、B-5型とは違い歯切れの良いムーディーで透明感と幅があり、
和音を弾くとアタックが利いた涼やかな広がりのある音質でした。
このときE-2型とC-1型を初めて目にし音を聴きました。
大きなモデルがこんなに沢山あることを初めて見て知りました。
この大会で沖先生がこのC-1型でビート感溢れるパンチの利いた演奏をなさっていました。
当時はこのC-1型も弾いてみたい機種の1つでした。
のちのこの時代のC-1での沖先生の「What'd I Say」の演奏は斬新でパンチのある絶品な演奏でした。
C-1の音は印象に残る良い音質でした。
このとき子供ながらに、大きいエレクトーンはやはり機種により良い音なんだと実感しました。
現在C-1型を保存所有していますがDiapasonという音色が何よりシンプルで良い音色です。
タブレッツト方式の機種はC-1が最初で最後でした。
夢の電子楽器ヤマハエレクトーンD-1型
加藤允子先生はご主人様が教会の牧師様で先生はオルガニストとして演奏もなさっており、
礼拝堂にはテスコオルガンET-101型が、お住まいの牧師会館にはD-1型があり、時々弾かせていただきました。
ビブラート機能とサスティーン機能、ボタンパーカッションの魅力に子供ながらに「ハマリ」ました。
D-1のボタンパーカッションは右から波、風、嵐、トライアングル、「シー、カー、コー、キン」のような音で、
後のE型やEX型に見られるボタンパーカッションの2「シー、コー、キン、チャン」の元祖の音です。
「おもちゃのチャチャチャ」をボタンパーカッションを使いよく弾きました。
加藤先生が弾くボタンパーカッションの風の音から始まる
D-1の編曲で有名なビブラート美しい「夕焼け小焼け」とサスティーン効果を使いマンドリン効果で全音音階で表現し、
宇宙的効果音のイントロから始まる当時流行りのテレビアニメ「鉄腕アトム」の演奏が大好きでした。
B-3型には勿論ボタンパーカッションが無く、トーンレバーも左側にあり、
ボタンパーカッションが左に、トーンレバーが正面上にあるデザインのD-1型は高嶺の花でした。
柔らかく伸びやかに聴く耳に優しいD-1の音は、ぺタルのサスティーン効果によりクラシカルでゆったりした音楽に向いており、
まさに電子オルガンの草分け、エレクトーンの代名詞のような音でした。
当時町でもD-1型を所有なさっているかたは加藤先生くらいだったと思います。
(先生のお宅のD-1型には特注の蓋がついており
先生は何時も重い一枚木目の蓋を大切そうに開けていました)
スイッチを入れ、「少し温めるから待っててね」と...
今思えば真空管を温め音を出していたんだと、D-1は真空管主体による非対称矩形波分周方式を採用したモデルでした。
D-1の柔らかくビブラート美しい上鍵盤のORGANというトーンレバーこそが当時のエレクトーンそのものの音だと思っています。
D-1型の下位モデルにB-1型というモデルがありましたが、実際に当時B-1を持っていた他の先生からお聞きした話では、
ぺタルサスティーンがB-3型と同じようなぺタルパーカッシップ(切れる波形効果)効果で、上鍵盤のサスティーン効果もぺタル
ぺタルパーカッシップ(切れる波形効果)を上鍵盤に置き換えた切り替え式効果でD-1のサスティーン効果とは異なり、
B-1のサスティーン効果は表現が難しいと仰っていた記憶があります。
B-1型は1年程しか販売されていなかったように思います。
憧れのD-2B型
1967年の中頃に楽器店にD-1型を改良した新しいモデルD-2B型が展示され、
見た瞬間デザインのフォルムやトーンレバーの濃いグレーの色と形に一目見た瞬間に魅了され、
パンチのある音色を聴いた瞬間に「ノックアウト!」させられました。
16’8’4’ 2 2 /3 フィートのカプラー音色で表現するレスポンスあるマニュアルアタック機能とトレモロ機能、
ORGANというトーンレバーのまろやかな音、
ロックのリズムをリアルタイムで表現するロワー、ぺタルパーカッション、
斬新なラテンパーカッション音色のボタンパーカッション、「シッ、カッ、コン、ポン」
これが本当に一人で弾いている演奏なのか!と驚愕しました。
D-1型ではクラシックやスクリーンミュージック、童謡などゆったりした曲が多く演奏されていましたが、
D-2B型はジャジーでアップテンポの曲も表現し易い新しい効果が集約された
カプラー効果のFLUTE 2 2/3 のトーンレバーや、1つだけグレー色のタブレットのマニュアルアタック効果、
トレモロスピーカーも内蔵されていました。
2 2/3 のカプラー音色は独特な広がりのあるサウンドになるんだと、子供ながらに思いました。
ニーレバーでON,OFFするシンギングビブラート効果は斬新で特に曲のエンディングでの表現の幅も広がっていました。
当時はニーレバーは必ず下ろして演奏するように先生から指導されました。
自宅のB-3にはカプラー効果は無く8'フィートのみ、音は澄んでいましたが広がり感はありませんでした。
今思えば、ベースには音が延びるサスティーン効果は無く、ベース音の立ち上がりはハモンドオルガンのようにかなり早く、
ベース鍵盤も平行に下がるので、ベースの奏法には逆にテクニックが必要だったように思います。
D-2B型が弾きたい!この楽器でないと!と魅了され、
(D-2Bの下位モデルにはC-1B型、C-2B型がありました、D-2B型は子供が使うにはあまりにも高価な機種)
カタログをいただいて毎日毎日見ては、寝ても覚めても頭の中はD-2Bでいっぱい!憧れの楽器でした。
ちなみにC-1B型はサスティーン回路が無い分、上下鍵盤共にそもそもの発音がマニュアルアタック効果になり
それが幸いし立ち上がりの良い音がして、パンチの利いたポピュラーが弾き易く、
C-2B型はトーンレバーの数も多く、もっとも美しいとされるサスティーン効果が特徴で、広がりのある
クラシックや童謡等に適してはいましたが、8’4’フィートのみにサスティーン回路があり
マニュアルアタックタブレットボタンがD-2Bのように無いため、8’4’フィートのトーンレバーの音色は立ち上がり
が甘くパンチの利いた曲に適さない音質でした。
C-2BではSTRING 4' フィートのトーンレバーのみでサスティーン効果を使いサマーサンバ等の軽いボサノバの曲を演奏すれば効果的表現が出来ました。
C-2Bには16'フィートのカプラーにはサスティーン回路が無いため、16'フィートの立ち上がりの早い切れた音と 8'4' フィートの
立ち上がりが甘い柔らかい音と混じる感じでした。
(E-2型では 8' フィートのトーンレバーのみにサスティーン回路があり、16'フィートやその他のフィート、つまりカプラー効果を混ぜると音の立ち上がりはC-2B型と似たように感じました)
私はC-1Bが音の立ち上がりが早くカプラーもありポピュラーを弾く場合は弾き易く好きでした。
C-2Bは下記説明に書いている後期モデルの音質のほうがサスティーン効果の表現には向いていました。
後にこの時代のインポートモデルB-7Dの中古を弾く機会が海外でありました。
このB-7Dは鍵盤数はB型と同じ44鍵盤でしたが、
サスティーン回路が8’のみで16’4’フィートのトーンレバーだけで弾けば音の立ち上がりが早くなり、
トレモロやロワー、ぺタルパーカッションのトーンレバーもあり、C-1Bの基本機能にD型のトレモロ、パーカッション機能だけ補足し、
クオリティーアップされた機種で、ホームモデルとしては一番無駄の無い機種でした。
(残念ながらインポートモデルの為日本では発売されなかった機種です)
この頃、同じ町内にポピュラーやジャズにたけている良い先生がいらっしゃるという大塚先生と加藤先生からのご紹介で、
同じ名字の加藤信子先生のお宅にもレッスンにお伺いするようになりました。
加藤信子先生のお宅に初めてレッスンのご相談に行ってびっくり!あっ!D-2B型が置かれていました。
家での練習でB-3を弾くとサスティーン効果も無くカプラー効果も無いのでシンプル過ぎて
なんだか音質に物足りなく感じるようになりました。
下位機種のC-1B型やC-2B型も発売されていましたが、頭の中はD型でいっぱい!
同じ曲を先生のお宅のレッスンでD-2Bで弾くとかっこ良くノリノリで弾けるのに、家に帰って練習すると
音がペッタンコになり上鍵盤の4つのトーンレバーの音をいくら工夫してもカプラー効果やサスティーン効果は無く、
いくら練習しても感じが違い曲の表現の幅が出ませんでした。
D型でないと表現出来ない!上鍵盤が足りない!音色が足りない!サスティーンが無い!
ベースの鍵盤が弾きにくいなどと、
両親に生意気なことを言ったりもしました。
(教具により上達の良し悪しはあったのだと思います)
検討の結果、どうせ購入するならD型が良いのではと、
68年に私の家の楽器もなんとD-2B型に!両親は高価な楽器を本当に苦労して購入してくれました。(感謝)
D-2B型の価格は395000円で椅子は5000円、(7000円のどちらかを選択)合計400000円でした。
この頃のグランドピアノG2Aの価格は380000円です。
B-3を下取りに出す引き取りと搬入の前日、なんだか寂しい気持ちで弾いていました。
母から「今のエレクトーンに感謝の気持ちで最後に弾きなさい」と言われました。
(ありがとうB-3)(涙)
B-3が毛布に包まれ、大きなトラックに、入れ替えにYAHAMA ELECTONE D-2Bと赤い字で書かれた大きな箱から
新品のD-2Bが登場、うゎ~!ほんとに来た~!
このときにも木目と家具塗装の新品の木のエレクトーンの匂いがしました。
本当に我が家に置かれて居るのかと目覚めて直ぐにD-2Bの前に行き、
新品の木の匂いがして嬉しかったことを鮮明に覚えています。
当時の楽器は外装周りもしっかりとした木目板が使われており家具塗装の木の「エレクトーンの匂い」がしました。
購入時に付属日品として付いてきたD-2B型紹介EPレコード盤に収録されている曲「サニー」を
毎日毎日ステレオで盤が擦り減る程聴きました。
D-2B型をこの頃から小学生の終わりまで昼夜問わず「取り付かれたように」弾きまくり練習しました。GoGo!(笑)
上下鍵盤もベース鍵盤も弾きやすく無駄の無い必要な音が用意されているという感じがしました。
本当に弾いていて楽しかったD-2B、上鍵盤のORGANという音色が大好きでした。
このD-2B型を使い第4回エレクトーンコンクール全日本大会で関藤先生が
演奏後に椅子から飛び降りるインパクトある見事な熱演パフォーマンスをなさったことを覚えています。
(この演奏を見てエレクトーンのベースは両足で弾くものなのだと確信しました)
数年してD-2B型のラインナップは音質とトーンレバーの一部、外装塗装のマイナーモデルチェンジがあり
楽器店でマイナーモデルチェンジ後の展示品を見る機会がありました。トーンレバーが薄く細くなり、「あ~レバーの形が変わってクリーム色から白になり、外装が黒っぽくなったんだ~」と思いました。
この頃D-2B型の上位機種D-7型が発売され、デレビではNHKの「四つの目」という科学番組でアイボリーの
白いD-7型が演奏されており毎週欠かさず見ていました。
D-7はフルベースでは無いホームモデルでしたが、E-3のようにプリセットがありトレモロが上鍵盤下鍵盤で
掛け分けることが出来ました。
一部マイナーモデルチェンジでトーンレバーがスマートに薄くなってスタイリッシュな感じになりました。
音質も透明感が出てクリアーで柔らかくなり、クラシック向きになりましたが、D-2Bについては音質が初期モデルほうが太く、トーンレバーのデザインも
「達磨」と言われる初期のモデルが私は好きでした。
詳しく言えば国内のD-2Bは1969年を境に、前期、後期で2種類のタイプがありました。
現在もこの「達磨」型のD-2B初期モデルを所有しています。
ご結婚なさりお名前変わり平須賀信子先生のレッスンで、
レイチャールズ、テンプテーションズ、ジミースミス、
ビートルズ、クインシー・ジョーンズ、フランシスレイ、バカラック、サイモンとガーファンクル、
カーペンターズ、ヘンリーマンシー二、ミッシェルルグラン、アース・ウィンド・アンド・ ファイアー、
ディープパープル、キースエマーソン、キッス、クイーン、チックコリア、クインシー・ジョーンズ、キースジャレット、
などのアーティストの音楽を小学生高学年から中学生の時期に聴きアナライズしては練習しました。
この時期にカプラーの使い方などのセンスの良いレジストレーション作りを師匠から学びました。
平須賀先生は演奏やファッションもハイセンスでおしゃれで「かっこいい素敵な先生」でした。
D-2B型はクラシックからポピュラー音楽までどんなジャンルでも幅広い表現が出来る、機能的観点からも
集約され無駄が無くバランスの良い、ある意味この時期に完成した最高の名器でした。
小学生の1971年、D-2B型が新しくなるからとヤマハ地区販担当者のお誘いで教室の生徒さんと一緒に
浜松のエレクトーン楽器工場の見学に行きました。
このとき、工場入り口の展示室で新しく発売の、B型以上C型からD-3型までの機種に、
パーカッシップ(ハモンドオルガンのパーカッション効果のような)
効果のトーンレバーが増えトーンレバーに色が付いた、
(トーンレバーが橙色、黄色、薄いグレー色、緑色)
B-2B型、B-4型、B-5A型、B-6D型、B-10A型、C-4型、C-5A型、D-3型の新モデルと
69年に発売されたD-7型、68年に発売されたE-3型(F-2型、F-1型、EX-42型を除く)の全商品と、
外装塗装色の違う白、ピンク、黄色、橙色、緑色のC-5A型と白色のD-3型を見ました。
そのときいただいたカタログは今でも持っています。
白いC-2B型、D-2B型、D-7型、E-3型があることは知っていましたが、
このような外装塗装の種類の楽器は初めて見て驚きでした。
「白いエレクトーンはかっこいい」とこのとき思いました。
71年のたった1年間販売された初期新モデルのトーンレバーの色は薄い染色が上品で好きでした。
C-4型はアッパーサスティーン回路はありませんでしたがその分C-1Bと同じように
音の立ち上がりが早く弾きやすかった記憶があります。
D-3型は16'フィートのトーンレバーにもサスティーン回路が導入されサスティーン効果の幅が広がり、
サスティーンを掛けることの出来るトロンボーン、バスーンの音色が印象的でした。
72年からD-3型までの機種のトーンレバーの色がマイナーチェンジで濃い色に変わり、
この頃から楽器にリズムが搭載されるようになりました。
(72年は価格の違うリズム付きRモデルとリズム無しモデルが発売されていました)
この小学生高学年の頃より楽器店に依頼されてはデモ演奏をするようになりました。
当時の使用機種はD-2B型、D-3型、D-3R型、D-30型、C-2B型、C-5A型、C-5R型、C-30型、CK-30型、CSY-1型の時代まで、
町のデモ演奏では当時流行の
黒猫のタンゴ、走れコウタロー、花嫁、また逢う日まで、喝采、赤い風船、
てんとう虫のサンバ、ひなげしの花、恋のダイヤル6700、学園天国、
あなた、風に吹かれていこう、男の子女の子、(歌詞の部分のGOGO!だけマイクを使い)
木綿のハンカチーフ、などの流行の曲を地元のお祭りや休日の繁華街広場、店頭などで演奏するとなんだか黒山の人だかりでした。
(弾きながらトーンレバーを変えたり、
両足をバンバン動かして弾く子供の曲芸に見えていたのかもしれません)
75年突然D-30からボタンパーカッションが無くなってしまい残念に思ったことも思い出です。
E-3型からオルガンの最高峰EX-42型、ドリームマシーンYAMAHA ELECTONE GX-1型へ
平須賀先生新居のお宅のレッスンでは
E-3型となり演奏やアレンジ幅もフルベースと多彩な音色のプリセット機能で広がりました。
(そうです、あのプリセットの引き出しです)
小学生高学年中学生の頃のコンクールではこのE-3型を弾いていました。
70年、大阪万国博覧会を見学に幾度か行き、お祭り広場ではE-3型とEX-42型を見ましたが、EX-42型はこの時が初見でした。
平須賀先生は万国博覧会のお祭り広場のカプセルでE-3でデモ演奏をなさっていました。
EX-42を初めて見たとき三弾鍵盤で宇宙船のようなデザインに凄い楽器だなぁ~と子供ながらに思いました。
E-3型ではキヌラのトーンレバーにカプラーとE-3ならではの機能のタッチビブラートで
(これがタッチトーンの始まり)
表現しラテンの曲のメロディーを弾くこと、
プリセットの4フルオルガンの音色と
ボタンパーカッションの2「シー、コー、キン、チャン」は好きでよく使いました。
E-3型のチャイムのひとつだけ緑色のトーンレバーの色がパネルのデザイン的に斬新でした。
翌年地元楽器店でもEX-42型が備品として1台入り、初めて弾く機会があり感動した記憶は忘れられません。
(最高峰EX-42となれば特約店も備品購入が大変だったことでしょう)
中学生2年生の時にフルベースを活用するアレンジ曲を多く弾くようになり、
私の家もフルベースのオートリズムの付いたE-20型のアイボリーホワイト色のコンソールステージモデルとなりました。
(折角なら白いエレクトーンのほうがいい!とステージモデルが我が家に来ました)
ジーンズで椅子に長時間座って練習するとジーンズの色が白い塗装の椅子に写ってしまい困りました。(笑)
先生のお宅は長い間E-3型だった記憶があります。(汗)
このE-20型ではソロトーンとパーカッシップ(ハモンドオルガンのパーカッション効果のような)
効果のトーンレバーが増え、グライド効果やタッチワウワウという新しい効果がタブレットで搭載されました。
タッチワウワウ効果は当時あまりにも斬新で使う機会は余りありませんでした。(笑)
(これが現在の正にワウ効果の元祖でした)
ソロトーンのビブラホーンとハープシコードの音色は特徴あるアピール出来る新音色でした。
E-20型の下位モデルD-3R型もこの時期よくデモ演奏で演奏しましたが、
このD-3R型はホームモデルではバランスの取れた良い楽器でした。
中学校の音楽室にはB-10A型があり音楽授業中や授業後に皆の前で生意気にJAZZの曲を演奏しました。
この時代学校の音楽室にもエレクトーンが置かれる時代でした。
73年のインターナショナルエレクトーンコンクールでグランプリのアメリカのボビーライルさんが
演奏した曲「愛と平和の踊り」と使われた機種E-5ARの使い方が斬新でそれはそれは大変衝撃的でした。
楽曲の分数コードの使い方や、コード進行、ベース走行、アドリブなども斬新でインパクトある演奏でした。
E-5AR型はインポートモデルで日本では発売されておらす、
日本では自宅にあるE-20型のアイボリーモデルと同等クラスのフルベースのコンソールモデルでした。
見たところの外観はE-20型よりやや大きい位で同じでしたが音色や機能の
ポルタメント鍵盤や 5 1/3 フィートのカプラーの音色やSWINGのリズム音も特殊でE-5AR型のほうが断然面白いと思いました。
(このとき海外販売モデルと日本モデルは違うということを知りました)
ジャジーなオルガン表現には欠かせない 5 1/3 のトーンレバーがエレクトーンでは
インポートモデルのE-5かEX-42型にしか搭載されて無く、(多分パテントの問題)
日本では75年発売のE-10型にやっと搭載されました。
E-20型ではどうしてもジャジーなオルガン音色の 5 1/3 フィートのカプラーが無いため音色表現に欠ける部分がありました。
海外パテントの問題もあり開発でも試行錯誤していた時代だったのだと思います。
75年頃に技術に勤務なさっているかたがE-5型を秘密で(インポートモデルの為)中古で手放すというお話があり、
浜松店で弾かせていただいたことがありました。
E-20よりやはりE-5の方が断然面白い機能でした。
日本モデルのE-20を買って2年でしたので泣く泣く購入には至りませんでした。
現在ご縁ありシカゴの教会から譲り受け、シカゴより運んだE-5ARを所有しています。
この頃のコンクールでは楽器店に練習に行きEX-42型を弾いていました。
EX-42を演奏前のレジスト設定にはトーンレバーの数が多く時間がかかりました。
昔のコンクールでは必ず演奏の後に奏者のインタービューがありました。
インタビューの時に、次のエントリーの人がレジスト設定をするという具合でした。
(今ではそんな光景は見られなくなりました)
EX-42型も前期モデルと後期モデルがあり、後期モデルは音色別にトーンレバーば振り分けられ、
レジストレーションのセットもし易くなり、ぺタルアタックからべースギターの音色に変更され弾き易くなりました。
EX-42型は椅子に座ると右膝が楽器ボディー下裏面にくっついてしまい、必ず椅子の位置を確認し
座らなければいけないと気を使う楽器でした。
ピア二カ鍵盤のようなソロ鍵盤には若干左右に揺れるタッチビブラート効果が表現出来、
ソロ鍵盤のトランペットとハスキーボイスの音色、ボタンパーカッション3の音、
アッパーストリングの音色にウェーヴモーションのトーンレバーを入れて演奏するのが好きでした。
上鍵盤はトレモロ、下鍵盤はコーラスと掛け分けられることも印象的でした。
楽器全体のデザインフォルムもこれまでの機種の中で格別なものでした。
トランジスターオルガンの最高峰のシアターモデルでした。
SY-1というシンセサイザーを使い始めたのもこの頃でした。
この頃、プレーヤーのかたのEX-42のデモ演奏を大きなカセットデッキを片手に勉強の為にあちこち聴きに行きました。
斉藤英美先生、日野正雄先生、大田恵子さん、芝原くるみさん、塚山エリコさんなど
プレーヤーのかたの編曲を真似て勉強しました。
78年頃まで、碑文谷のレストラン「ニース」、笹塚駅前のエレクトーン広場、東京會舘には常設でEX-42の演奏が聴け
銀座のソーニービル等でもEX-42のデモ演奏が時々行われていました。
加藤允子先生、平須賀信子先生、鱸真次先生、菊地雅春先生、小熊達也先生、この先生方から
三段鍵盤の素晴らしさを学びました。
池ヶ谷さんと益本さん
技の名匠と呼ばれるエレクトーン技術者のお二方との出会いは大分昔のことになります。
池ヶ谷淳一郎さんは、静岡すみやの技術者さんで、
私の子供の頃の師匠(残念ながら若くして旅立たれた)平須賀信子先生の発表会でのPAのオペレーターを担当して下さった
関係もあり、以前行なったSTAGEAとD-2Bとのコラボレーションコンサートの時には、コンサート企画前から保存していた2台のD-2Bを修理して下さり、
長きに渡り現在も、部品を探して下さり定期的に私の所有するビンテージ楽器のメンテナンスをお願いしているエレクトーン創世記からの名技術者さんです。
益本義久さんはヤマハカスタマーサービスの技術者さんで、
初めてお会いしたのはコンクールの全日本大会の本番でGX-1のトーンモジュールのセットをして下さっていたのが
益本さんでした。ヤマハの大きな国内外のイベントで使用するGX-1の調整はほぼ何時も益本さんだったことからその後時々お会いする機会もあり、
現行商品の調整にも来ていただく信頼のおける創世記からの名技術者さんです。
創世記から技術者としてご活躍されたお二方の技のメンテナンスのおかげで私の大変思い入れのある大切なオルガンの名機達が、60年の時を経た現在も完動すると言う訳です。
現在でも普通に完動すると言う価値はこのお二方のおかげです。本当に感謝です!
(当時GX-1を演奏する時には、技術者の方が必ずリハーサルに立ち会い、演奏前にはトーンモジュールのセッティングをしていただきました)
(お話の続き、1974年から2019年まで『1974年~GX-1型との出会い』~エレクトーン音楽の歴史、
『電子オルガンの変遷』のお話にご興味があればコラムをご覧下さい)